
スピード&プライド代表取締役
佐島明夫
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1973年生まれ |
広島県出身(7月18日) |
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1992年 |
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1997年 |
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1997年
〜1998年 |
自由民主党同志会常任理事秘書 |
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1999年
〜2001年
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ITベンチャー企業
事業開発本部
国際事業本部
経営企画室
株式公開準備室 |
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2002年〜 |
有限会社スピード&プライド設立 |
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1973年生まれ。広島県三次市出身。
私立岡山高等学校にて3年間寮生活を送る。 卒業後一年間、東京・青山で新聞奨学生として毎朝夕、新聞配達をしながら、ネバダ・カリフォルニア大学国際教育機構Japan(当時・ネバダ州立大学日本校)にて、英語の習得および教養科目数単位を取得後、渡米。
リベラルアーツ・カレッジである米国ペンシルバニア州オルブライト大学に入学。国際政治学を中心に履修しつつ、イスラエルにおける死海文書研究やマウイ島における鯨の生態研究など、幅広く学ぶ。また地元テレビ局でインターンをするかたわら、大学の裏山にある塔の中にあった梵鐘のルーツを探り、埼玉県にあるお寺の住職や市会議員などを米国に招待。ローカルレベルでの国際交流を推進し、日米双方におけるメディアで取り上げられる。
無事に必要な単位を履修し早めに帰国したため卒業式には出席できなかったが、その数週間後に東京で行われた同校OBである国際ジャーナリスト・落合信彦氏への名誉博士号授与式の場で、来日中の学長より卒業証書を授与される。
卒業後は、外務省T種試験及び専門職員試験を受験。専門職員試験(一次)には合格したものの、周囲からの「ノンキャリアは惨め」とのアドバイスもあり辞退。外務省を動かせるのは政治家しかいないという考えから、政界におけるキャリアを求める。縁あって自由民主党同志会常任理事の秘書として社会人デビュー。「見ざる聞かざる言わざる」が徹底された環境下で、24時間365日、普通ではなかなか経験できない世界を垣間見るも、自らの進むべき道との乖離を感じ転職を決意。当時急速に伸びつつあったインターネットを活用して国際交流事業を行うことを念頭に、設立間もないIT系ベンチャー企業に入社。同社は「地域密着型の情報通信サービス」の提供を目指し、全国の地場企業との提携戦略でネットワークを急拡大しており、自らの基本理念である"Think
Globally, Act
Locally"に合致していたこともあり、非常にやりがいをもって仕事に取り組むことが出来、主に経営企画、株式公開準備室にて企画業務や事業計画書・プレゼンテーション資料の作成に携わる。ベンチャー・キャピタルからの資金調達も予定通り成功し、当時創設されたばかりであった新市場における株式公開に向けて準備を着々と進めるも、ITバブル崩壊のあおりを受けて延期を余儀なくされる。そんな状況のなかで、事業の進捗も停滞し、新規事業に活路を見出そうと、外部からコンサルタント2名を招聘し創設された顧問室のスタッフとして、人材関連サービスの立上げに携わる。しかしときすでに遅く、会社は民事再生法を申請。社員が続々辞めていくなか、最後までやりぬくことを決意するも、資金枯渇により会社都合解雇。新規事業立上げに携わっていた営業トップを中心とするメンバーによる新会社での事業継続に参加しつつ、自ら会社を興すことを決意。有限会社スピード・アンド・プライド設立に至る。
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愛用品
グローブ・トロッターのスーツ・ケース
グローブ・トロッターのアタッシュ・ケース
カルバン・クラインのエスケープ
好きな食べ物
ソフトシェル・クラブ
ししゃも(with
ご飯と味噌汁)
アメリカのダイナーのハンバーガー
軟骨のから揚げ
ナポリタン
ブラータチーズ
ロールモデル
落合信彦
ゴルゴ13
白洲次郎
同じ誕生日の有名人
リチャード・ブランソン(ヴァージン社創立者)
ネルソン・マンデラ(元・南アフリカ共和国大統領)
森嶋通夫(経済学者)
ザ・グレート・サスケ(プロレスラー)
森野熊八(料理人)
広末涼子(タレント)
後三条天皇(第71代天皇→法皇)
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「脳内メーカー」の診断結果はこんな感じ。
ただの能天気バカらしい・・・。
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オーラ写真の結果はこんな感じ。青いオーラは「冷静沈着で客観性がある。冷静な判断力、愛情を持つ」だそうです。オーラサイズは90!という大きさ。そして適した仕事は「カウンセラー」。「あなたは、とても良い聞き手であり、相手の思いや感情に簡単に入り込むことが出来ます。あなたは特に、1対1の関係において、相手へサービスすることを好みます」だそうです。まさにリクルーターは適職!
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