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執筆者の写真Akio Sashima

第19回 サムライ


先日、イスラエルの方と話す機会があった。湾岸戦争では勲章を貰い、その後エルアル航空の保安要員として世界中を飛び回った経験のある猛者である。 いい機会なので、長年気になっていた疑問をぶつけてみた。「どうしてイスラエルの人は日本に興味があるのか?」 「うーん・・・、世界第2位の経済大国ということもあるけど、やっぱり一番は”サムライ”に興味があるんだと思うよ。あの時代の精神とか・・・。」 サムライとは何か?その時代の精神とは? この問いに明確に答えられる日本人っているのだろうか? 海外に出ると日本のことがよくわかるようになると言う。 私の経験からも、それは言える。海外で見るもの経験するものすべてを「日本ではどうだった?」と比較する複眼思考が芽生えるからだ。 そして比較するとき、最も大事なのは、その違いが生まれた過程である。言い換えると、それぞれの国民・民族の精神構造だ。 新渡戸稲造の「武士道」を読むとき、「今の日本にサムライ精神は残っているのか?」と思う。 30年前、三島由紀夫は次のように書いている。 「私の言いたいことは、口に日本文化や日本的伝統を軽蔑しながら、お茶漬けの味とは縁の切れない、そういう中途半端な日本人はもうたくさんだということであり、日本の未来の若者にのぞむことはハンバーガーをパクつきながら、日本のユニークな精神的価値を、おのれの誇りとしてくれることである。」 景気が悪いと嘆いていても何も変わらない。 今、日本のユニークな精神的価値を再考するときである。 そして、その土台を作った後、あらためて世界に出て行くのだ。

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