先日イギリスでインタビューしたロンドン大学の学生は言語学を専攻し、 将来は日本語教師を目指しているのだと話してくれた。 でも将来に関するちょっとした不安も吐露する。 「なかなかそういう仕事って見つからないですよね?就職のことを考えると どうなのかなあとは思ってます。」 もともと彼女が日本語教師を目指す理由は 「日本を世界に伝えたい」からだという。 だとすれば別に「日本語教師」でなくてもいい。 他にもその目的を達せられる仕事はある。 たとえばかつて(今も?)全米を席巻した鉄板焼きの「BENIHANA」。 パフォーマンスをしながら鉄板で料理をするあれだが、 ある意味、食を通して日本をアメリカに浸透させた。 *鉄板焼きが「日本」か?という突っ込みはナシ・・・。 昨今の欧米の寿司ブームや日本酒ブームだって、「日本を世界に伝える」 という意味では通ずるものがある。 「日本語教師」という直球にこだわらなくても、 カーブでもフォークでも相手を三振させるという目的を達成できるのであれば、 何でもいいのである。 もちろんバランスは大事。 「教師になる」というか「教育に携わる」ということも将来の目的であるのであれば 日本語教師という道は譲れないだろう。 ポイントは、何になるかではなく、何をするか? 目的を「何になるか?」に矮小化してしまうと、仕事の幅を狭めてしまう。 また、世界観も狭まってしまいかねない。 その仕事に関する情報にばかり興味が向かいがちになってしまうからだ。 何になるかではなく、何をするか? ちなみに冒頭のインタビューは、ロンドン大学の隣の大英博物館のただっ広いロビーで行った。 時間がないので、見学できず・・・。 でも世界に冠たる大英博物館といっても、べつに鑑賞するためだけにあるのではない。 ロビーでインタビューするだけだっていい。 それが目的だったのだから。 「エセ絵画通」ではなく「インタビュアー」だった俺は、そう言い聞かせている。 見学したかったけど・・・。
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Life is about the people you meet, and the things you create with them.
Recruiter / Japan Market Entry Consultant




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