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  • 執筆者の写真Akio Sashima

第141回 熱さを取り戻せ!


2012年1月21日、起業10周年を迎えた。 思い返せば10年ちょっと前、勤務していたベンチャーが倒産し、 どうしたものかと途方にくれていた翌日、アメリカで同時多発テロが起きた。 テレビ画面でその光景を見て、 もう人生何が起きるからわからないから、どうせだったら好きに生きようと思った。 そして、起業を決意した。 あの頃は馬鹿だった。 「社長になったからには、いいところに住むべきだ」 という意味不明なロジックの元に、青山一丁目の高級マンションにお引越し。 家賃だけでベンチャー時代の給与を超えていた。 無茶苦茶だ・・・。 しかも始めたのは、まったく経験も無い人材紹介ビジネス。 どういうわけか、自信だけはあった。 俺なら、どうにかなるぜ!何しろ、俺だから。 そして、どうにかなった。 運も味方についていた。 俺の人生に最大の影響を与えたノビーからも激励の電話を貰ったし、 銀行からの融資も下りた。金欠2週間前にだ。 そして4年後、白金に引っ越した。 今度は暖炉にヒノキ風呂までついた一軒家だ。 クレジットカードも珍しい色になって、グルメ三昧の日々。 そんな全てが順風満帆に思え始めた頃、ちょっと風向きが変わり始めたなと思ったとたん、 リーマンショックで、人材業界は一気に冷え込んだ。 同業社、とくに外資はあっという間に撤退、もしくは倒産・・・。 国内系も、ドラスティックな首切りを断行しても青息吐息。 ほとんど開店休業状態になってしまった。 でも俺はしぶとい。 俺なら乗り切れる。なにしろ、俺だから。 あれから早くも3年以上が過ぎた。 その後も、大震災に、今度はユーロ危機だ。 何とか生き残ってはいるものの、まだまだだ。 そんないま思うのは、起業当時の熱さを取り戻さねばということだ。 それは俺個人だけにとどまらず、日本全体に言えると思う。 バブル崩壊以降、「閉塞感」とか「失われた20年」とか言われ続けて、日本には元気がない。 そして震災後、いろんなところで、「日本を元気に!」が合言葉になっている。 元気は大切だ。 アントニオ猪木も「元気があれば何でもできる!」と叫んでいる。 でも、もっと必要なのは、元気の上を行く「熱さ」なのだ。 元気は熱さから生まれる。 日本には、熱さが足りない。 熱さというのは、人の心に火をつけ、抑えきれない衝動を掻き立て、アクションを起こさせるものだ。 言い換えれば「冷静さを失う」ということにもなる。 それは、思考を止めるということでもある。 でも、今の日本にはそれが必要なんだと思う。 猪木がいう「バカになれ!」だ。 ノビーも言った。 「小利口に生きることを捨て、大きな馬鹿として生きれば、世の中はどんなに面白いか、退屈しないか!」 大体最近、池上彰が、世界各地に飛んで国際情勢もわかりやくす解説してるが、 そこには熱さがない。 20年前のノビーは熱かった。 スーパードライのCMで颯爽とヘリコプターから油田に降り立ち、 雑誌や書籍ではではサッチャーや元モサド長官など世界の要人に次々と会い アメリカで傭兵学校に体験入校したり、KKKまでインタビュー。 紛争が続くイスラエルでは、取材中にめがねを機関銃でふっとばされ、九死に一生を得る。 講演会では登壇するやいなや、スーツを脱ぎ捨て、腕まくりをして熱く語り始める。 かっこよすぎ!まさに、エンターテインメントだ。 世界は広いんだ、世界にはスゲー奴らがたくさんいるんだ。 お前ら、こんな日本で小さくまとまってて満足なのか? 世界へ飛びたて! そんな熱いメッセージに心を打たれ、無数の若者が海外へと出て行った。 いまの池上彰に、その熱さがあるか? 「そうだったのか」で終わりじゃないか・・・。 スーパードライどころか、発泡酒、いや、アルコールフリーのビールみたいなもんだ。 熱さが充満した世の中からは、破天荒な人間、めちゃくちゃな人間、個性のある人間が出てくる。 そんなやつらが、日本を引っ張り、世界を引っ張る。 そこから、社会にダイナミズムが生まれていく。 数年前、ベンチャーブームがあった。 ヒルズ族なんていう言葉も生まれた。 でも、ホリエモンの登場と退場によって、その熱は沈下してしまった。 意気消沈したベンチャーも、とっとと退場していったところが少なくない。 ホリエモンのせいにして。 実は俺のクライアントの中にも、似たようなところがあった。 株式を上場し、一攫千金。 フェラーリを買ったまではいいが、あっという間に業績悪化でリストラの嵐。 しょうがないところは、しょうがないとあきらめるしかない。 でもフェラーリを売る前に、社員を解雇しちゃダメだろう。 そこに「熱さ」はない。 ダメになっちゃったけど、もう一度頑張ろうぜ! 俺は自転車に乗り換えるから、みんなもついてきてくれ! そんなベンチャー魂が欠如していた。 破天荒な人間、めちゃくちゃな人間、個性のある人間、無鉄砲な人間。 どれだけ社会の枠からはみ出していても、ホンモノは周りから認められる。 「しょうがねえヤツだな」と、長老達も眉をひそめながらも静観する。 ただし、そこにホンモノの熱さが感じられればの話だ。 熱い人間は、自分をさらけ出すことに躊躇しない。 自分をさらけ出さないと、人の心に火はつけられないからだ。 だから俺も長い間中断していたコラムを再開することにした。 俺の考えを押し付けるつもりはない。 馬鹿なことを書いていたら、馬鹿だなと思ってくれればいい。 でも、それだけで終わってほしくはないと思う。

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