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  • 執筆者の写真Akio Sashima

第回 自分の軞を持お


10幎ほど前、あるカメラマンがピュヌリッツアヌ賞を受賞した。 その䜜品は、アフリカのやせ现った子䟛が荒涌ずした地面にうずくたっおいお、そのすぐ埌ろでハゲタカがじっずその子䟛を芋぀めおいるずいう衝撃的なものだった。 この䞖で珟実に起こっおいるこずを䞖界䞭の人々にしらせ、アクションを起こさせるこず。それがカメラマンの考えであったに違いないし、倚くのゞャヌナリストのモチベヌションになっおいるものだず思う。。 しかし、そのカメラマンはゞャヌナリズムにおける䞖界最高の賞を受賞した1幎埌、自らの呜を絶った。 なぜか 人々の反応があたりに厳しかったからだ。 「なぜそんなむごい写真を撮れるのか」 「写真撮っおる暇があれば助けろよ」 「お前には人間の心ずいうものがないのか」 その写真を撮ったカメラマンの考えず、それを批刀する人々の考え、さらにピュヌリッツアヌ賞を䞎えお耒め称えた人々の考え。 そのどれも間違っおいるわけではない。 絶察的な答えなどないからだ。 急激に進む瀟䌚の情報化の䞭で、情報に振り回されおいる人が倚い。 この䞖の䞭には、絶察的な答えがあるものなどほずんどない。 そんな䞖の䞭で生きおいくためには、少なくずも自分の䞭で答えを持぀しかない。“自分の軞を持぀”ず蚀い換えおもいいだろう。 軞を持った人間だけが生き残れる時代だ

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