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  • 執筆者の写真Akio Sashima

第126回 日本人であることを自覚しろ!


私は外国人が多いパーティーの場にいると、だいたい日本人とは思われない。 むかしイラン人が代々木公園とかにたむろっていた頃、彼らからペルシャ語で話かけられたこともあるから筋金入りだ。ちなみに先日参加したフランス人宅でのホームパーティーではインド人と間違われた・・・。 それはさておき、ちょっと古いニュースだが、「国旗掲揚/国歌斉唱強制は憲法違反」というのがあった。 なんでこうなるのか? 私はまだアメリカに行く前、渋谷のボロアパートに住んでた頃、カーテン代わりに星条旗を掲げていた。 憧れてたんだから、しょうがない。 でもアメリカに行ってすぐ、それは日の丸に変わった。 なぜか? 大学のあったレディング市の街中のいたるところにはためいている星条旗を見て思うところがあったからだ。 それは、アメリカ人が「この国は自分たちがつくりあげている」という意思表示だと感じたということ。 もともと歴史も浅く、移民で成り立っているのだから当たり前なのかもしれない。 日本のように、なんだか「むかしからずっとあったもの」という意識とはまったく違う。 そんなことを妙に納得し、「俺は別にアメリカに移民に来たわけじゃない。日本人だ」と思ったから 日の丸が欲しくなった。 そして当時はアトランタ・オリンピックが迫っていた頃で、フィラデルフィアに買い物に行ったら、いわゆる オリンピック・ショップみたいなのがあって、世界中の国旗を売っていたから、日の丸を衝動買いした。 そしてだんだんエスカレートして、車のフロントの塗装がちょっとはがれたので、そこに日の丸ステッカーまだ貼っていた。それは今になると、かなり恥ずかしいが・・・。 いずれにしろ、海外にいると、自分は日本人であるということを否応もなく意識する。 そしてその象徴として、国旗・国歌がある。 だからこそ世界が舞台のオリンピックなどで国旗掲揚・国歌吹奏がある。 最初の問いに戻るが、なぜ国旗掲揚・国歌斉唱を拒む公務員がいるのか? 「昔来た道に戻る」ことをイメージするから? お上に従順だと、また戦争に突っ走るから? まさに脳死状態。 国旗掲揚・国歌斉唱は、国歌への服従を意味しない。 自分の国を愛するのであれば、間違ったことには異を唱えるのは当たり前。 戦前と違い、その権利は誰にでもある。 でも自分の国を愛していないのであれば、何も言う権利はない。 余計なお世話だからだ。 いまこれだけ日本社会がおかしくなっている時期だからこそ、 「自分たちが日本を作り上げる」という気概が求められている。 そんな時代に逆行する判決には、知性も時代認識、歴史感覚も感じられない。 国旗・国歌にアレルギーがある人は、半年でも一年でも、海外に出たほうがいい。 そうすれば、国旗・国歌の存在意義を肌で感じることが出来るはず。 とくに教育に携わる人間には、それが求められるはずである。

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